ヴェゼルHV給油

 ヴェゼルHVの給油。316km/21.9Lと言う事で14.42km/Lとなってます。ガソリン価格は140円/Lと前回よりもだいぶ下がってました。

14.7km/L

香典開き

 素泊まりのため、朝食は昨日娘たちに貰った人参ジュースに会館で残ってたパンを頂きました。お風呂は独り占めでした。
 喪主の兄はいろいろあって、実家で姉・義姉・自分とで香典開き。最終的には住所や電話番号も必要なのですが、一番大事な名前と金額の確認だけ先にやる事になりました。一人が開封し名前と金額を確認し、もう一人が名前と金額を連番で表に書き、もう一人が金額を確認する流れです。今回利用した会館では受付前に芳名カードを自分で記入して受付に香典と一緒に渡すシステムだったので、ある程度カードで名前と住所を確認でき整理しやすい仕組みでした。ひと通り確認し終わり、まずは実金額を確認し、その後表に起こした金額を集計しました。すると集計金額よりも実金額が一万円足りません。表の金額を集計し間違えたのかと計算し直しても金額は間違っていません。ここで前と同様にポパイに頼んでいた出前が届いたのでお昼を食べていったんリセット。ちなみに今回は親子重にしました。香典袋から取り出す時に一枚だけ残っているとしか考えられず、とりあえず最後の方から袋を見返してみたところ、10袋も調べないうちに袋の中に残っている一万円札を発見。無事総金額が確定しました。

親子重

 
 そうこうしているうちにレンタカーを返しにいかないといけない時間となり、父とお別れして実家を出ました。レンタカーを返す前に給油しなくてはいけないのですが、ヴィッツの給油は初めてで給油してもすぐに止まってしまいます。蓋を閉め直したりしているうちになんとか給油することができ、レンタカー屋で返却手続きを行い、東能代駅のみどりの窓口でえきねっと予約分の切符を発券してもらい、程なくやってきた特急つがるに乗りました。
東能代駅

特急つがる

 秋田駅には定刻に到着し、トピコ2階で職場への土産と残り1個だと言う握り寿司弁当を購入。なかなか珍しいブリコの軍艦巻きが入ってました。1階に下りてゆーわミルクスタンドで前々から気になってた雪国ミルクソフトを頂いてからこまちに乗り込みました。

雪国ミルクソフトコルネ

 だいたいいつものパターンで盛岡を過ぎたあたりで弁当を食べます。平日だからだと思いますが、こまちもかがやきも隣に人が座る事なくゆったりとする事が出来ました。

寿司弁当外装

寿司弁当

 秋田駅でも新幹線乗り換え改札で引っかかり、富山駅でも引っかかりました。少し悩みましたが新青森経由で往復切符を購入していた事に気づきました。駅員さんにその旨伝えましたが、特に清算する事なく終わりました。富山駅の近くにいたからと娘2号の車に乗せて貰い無事に帰宅することが出来ました。

葬儀

 ルートイン能代の朝食はもう何度目だろうか。今回は初めてホテルの大浴場に入りました。イオンで買った靴下をとめてるプラスチックを外せないためフロントでハサミを借りないといけませんでした。

ホテルの朝食

 娘達と姪っ子1号2号に受付をやって貰いましたが、富山でのやり方とはだいぶ違っていてとまどいました。芳名カードに自分で記入してから香典と一緒に受付に渡すと言うのは結構合理的です。
 葬儀・法要・会食も滞りなく終わり、お寺さんにむかい、兄姉自分とかみさん娘達だけで納骨を行い、後から母と兄嫁も合流し本堂でお経を読んでもらい位牌堂に戒名札(?)と写真を納めてひと通りのイベントは終了。お寺から直接かみさん達を大館能代空港に送りに行きました。一昨日は秋田自動車道を使いませんでしたが、たった1区間だけでも下道を通るよりも早かったような感じでした。空港では同じ飛行機に乗る姪っ子1号家族がレンタカーを返したりで先に来ていて出発までの間しばし一緒に過ごしました。
 空港から実家に戻り、母・姉・兄夫婦・姪っ子2号ときりたんぽ鍋を頂き、自分はあきた白神温泉ホテル(素泊まり)に向かいました。

ゆめろん・さくら亭

 朝は会館が用意してくれていたパンと無料サービスのコーヒーで。
 本日は友引のため特にイベントはありません。と言うわけで、かみさんたちとゆめろんに行き温泉に入りじゅんさいサイダーを4人で1本頂き、イオンで着替えを入手。下着を1日分だけ欲しいのに、どれも2枚で880円とかで無駄に1枚ずつ多めに買わざるを得ませんでした。
 

じゅんさいサイダー

お昼はずっと前から行って見たかった「さくら亭」に入る事にしました。店内に入ってすぐの印象は、観光客が入るにはちょっとハードルが高いような感じです。自分と娘2号はサクラステーキ定食を、かみさんはサクラホルモン定食を、娘1号はサクラ煮込み定食を注文。皆満足して店を出ました。

馬肉メニュー

牛メニュー
サクラ煮込み定食
サクラホルモン定食
サクラステーキ定食
サクラステーキ
コーヒー

 会館に戻ってみると姪っ子1号の長男(8才)が発熱とのこと。医者に行ってきたらしいですが、発熱してすぐのためインフルかどうかは不明です。隔離の意味もあり昨日の夜自分たちが使っていたベッドルームを使うことになったので急遽ルートイン能代を予約して禁煙ツイン二部屋を確保しました。
 晩ご飯はレストランジロー(シャトー赤坂)の出前を取る事になりました。甥っ子1号家族と甥っ子2号家族も合流したので4ヶ月の赤ちゃんを含めひ孫世代6人(うち最年長1名ダウン)が揃って結構大変な状況でした。
 小さい子達がいる甥っ子1号と2号の家族は別のホテルに泊まる事になっており、自分たちも21時前にルートインに向かいました。

出棺の儀・火葬

 10時過ぎに到着するかみさんと娘達を大館能代空港まで迎えに行きました。広域農道を通ったのですが、通ろうとした橋が工事中で迂回しなくてはいけなかったり、結構路面が凍結しており下り坂のカーブは特に慎重に運転しないといけませんでした。それでも時間的には予定通りに空港に着きかみさんたちが出て来るのを待っている時に十数人の地元の人たちが手に小旗を持って「Welcom Odate」の横断幕を掲げていました。後から調べてみるとタイのボッチャの選手が来る事になっていたようです。空港の出口に秋田犬がお出迎えしたりするのをテレビて見ていたのですが、今日は土曜日にも関わらず秋田犬のお迎えはありませんでした。
 実家に戻ると直ぐに霊柩車が来てほどなく出棺となりました。霊柩車に同乗していく兄夫婦の車を運転して霊柩車を追ったのですが、斎場の場所を思い違いしていて遠回りしてしまい道を間違えたりしてなんとか斎場に到着しました。
 火葬が終わるまで1時間ほど控え室で待ち、親族はこの間にコンビニで購入してきたおにぎり・パンなどを頂いて過ごしました。お骨を拾ったあとは会館に向かい、翌16日が友引のため17日の葬儀までこの会館の親族控え室で過ごすことになりました。親族控え室は仏間に大きなリビングダイニングに対面式のキッチンがあり、他にベッドが3台あるベッドルームやお風呂・洗面所もあって、さながらモデルルームのような趣でした。
 会館に頼んでおいたオードブルと出前のお寿司の他に途中で買い出ししてきた地ビールやワインなどでこの会館に入った15時からお寺さんが急遽葬式が入ったとかでお経を読みに来るのが遅くなったりで、長い夜を過ごす事になりました。ここに泊まるのは男の子二人を含めて12人。一応年頃の女性が二人いる我が家の四人がベッドルームに布団を一組持ち込んで一晩過ごす事になりました。

納棺の儀

 本日は納棺の儀がありました。その前に湯灌と言うのがありましたが、湯灌の間ずっと鐘を鳴らさないといけないらしく、喪主の兄はどうしても外せない仕事があり喪主不在のため自分がその大役を務めることになりました。湯灌を終えて納棺となるのですが、ちょうど父の友人と近所のご主人がお悔やみに来て頂いていたので父を棺に納めるのを手伝って貰いました。その人たちがいないと自分以外は全て女性しかいなかったので、結構大変だったかもしれません。
 実家の風呂場は寒すぎるため、湯灌の人たちが来る前にハタハタ館に行き温泉に入って来ました。自分が入る直前までテレビの取材で風呂場を撮影していたようです。
 お昼は姉・義姉と3人なので、3kmほどの距離にある「ポパイ」に出前を頼むことにしました。昨日のお昼もここから出前をとったらしいです。とりあえず無難なカツカレーを注文しました。

カツカレー

 昨日の夜にダメ元で楽天トラベル経由でレンタカーを取れないかと調べて見たところコンパクトカーを予約できました。葬儀会社の人との打ち合わせがひと段落した15時過ぎに再びレンタカー屋に行き車を交換して来ました。コンパクトカーと言うことでヴィッツでしたが、これで明日合流するかみさんたち3人を迎えに行って荷物も余裕で載せられることになります。
 日中は姉・義姉と自分の3人である程度対応出来ましたが、大事な用件の決定は兄が戻ってからになりました。
 夜は姪っ子1号家族と姪っ子2号が大館能代空港からレンタカーでやって来ましたが、初めて秋田の冬道を走るには結構厳しい状況だったようです。晩御飯は昨日と同様にあり合わせのものでとなりましたが、親戚の人が差し入れしてくれたハタハタを焼いたのと煮たのがあったため、生まれて初めてハタハタを食べる姪っ子の息子たちがハタハタにハマっていました。姪っ子1号家族はあきた白神温泉ホテルに泊まることになっていて、今晩も姉兄自分の3人で父と過ごしました。

訃報

 朝の6時半過ぎに兄から父親が息を引き取ったとの電話がありました。冷蔵庫の配送があるので休みにしていたのですが、とりあえず実家に向かうことにしました。この時間だと7時半過ぎの新幹線には間に合わず、8時台の新幹線には秋田新幹線の接続はありません。9時台でも大宮での乗り換えで1時間近くかかります。ふと思い出し調べてみると、8時台の富山発で新青森経由で奥羽本線の特急に乗り継げるルートがありました。えきねっとで切符を予約し、かみさんを乗せて駅に向かいましたが、通勤渋滞のためなかなか富山駅に近づきません。途中諦めかけましたが思い直して横道を入り、マリエ前の信号で止まったタイミングで車を降りてかみさんに運転をかわり、早足で富山駅に向かいました。発券機で切符を受け取り、なんとか少しだけ余裕を持って新幹線のホームに上りました。ホームで職場にしばらく休む旨の電話をし、新幹線の中でレンタカーの確保と冷蔵庫の配達日の変更の連絡を取りました。レンタカーはネットでは空車が全く無く、電話をかけたところ14時半頃に軽自動車が戻ってくると言うことでその軽自動車を予約することにしました。冷蔵庫はいつ戻ってくるか確定していなかったので、とりあえずは来週の土曜日に延期してもらいました。
 大宮ではやぶさに乗り換え、新青森で奥羽本線の特急に乗り換えです。新青森駅で新幹線から特急に乗り換える時お昼に食べるものを買おうとしましたが新幹線改札手前にあった売店をやり過ごしてしまった後は構内には売店がなく、駅員に聞いて改札を出たところに売店があることを確認しましたが、時間があまり無くて断念。14時40分頃に東能代駅に降りた時に売店でパンを買って待合室で食べました。空きっ腹を満たしてからレンタカーを借りに行きました。レンタカーは軽自動車しか無かった訳ですが、最悪タクシーと言うことも想定していただけに、とりあえず一人で行動するには充分でした。
 実家に着いた時には葬儀会社の人たちがいて喪主である兄と打合せをやっていました。まずは父に帰ってきた報告をし、お水をあげて焼香。それから後は今後の予定やら打ち合わせやら、お隣さんに連絡して町内におふれを回してもらったり親族として誰に連絡をすれば良いかとか葬儀会社とは別に色々教えてもらいました。
 晩御飯は義姉が用意してくれた料理ですませ、レンタルした布団で病院に付き添いしていた時と同様に兄弟3人で父と一緒に夜を過ごしました。大きいロウソクと線香は絶やしてはいけないと言うことで、燃え尽きるまでだいたい100分程度であることを確認しておき、タイマーをセットして夜中に新しい線香を灯すのが自分の仕事でした。