「昭和は輝いていた〈ブルース・リー〉」

昭和40年代後半、世界に衝撃を与えた映画ジャンルが誕生した。それは、カンフー映画。鍛え上げられた肉体を武器に、スクリーンで暴れまわった主役ブルース・リーは、世界の男たちに大きな影響を与え、その伝説は今日なお語り継がれている。驚くべきは、主演作品「ドラゴン危機一髪」から「死亡遊戯」撮影途中に急逝するまで、活躍はわずか2年。

その間に世界の映画ヒーローの座へと上り詰めたブルース・リーは、今日の格闘技人気の生みの親でもあった。7歳で観た「ドラゴン怒りの鉄拳」に衝撃を受けて以来の大ファン・大槻ケンヂ、ブルース・リーの影響でキックボクサーへの道を進んだという元ムエタイ世界チャンピオン・前田憲作、香港功夫映画評論家の知野二郎らが、それぞれの人生をも変えたブルース・リーの偉大な足跡を口々に語る。

ハリウッドから失意の香港行き、主演作大ヒットで瞬く間に駆け上った大スターへの道、武道への深い想い、製作途中で他界した主役不在の遺作など、アジアが世界に誇るヒーローの実像が明らかにされる。

引用元: 昭和は輝いていた 〈ブルース・リー〉:2013年11月26日(火)夜9時00分|BSジャパン.

 BSジャパンの「昭和は輝いていた」という番組でブルース・リーの特集をやっていました。最初に「燃えよドラゴン」を見たのは映画館だったのかテレビだったのかすら覚えてはいないのですが、あのインパクトは心の奥に残っています。だいぶ前に「探偵ナイトスクープ」である世代の男性はヌンチャクを使えるし、別の世代の女性はピンクレディーの歌を振り付きで歌えるというのをやっていましたが、ブルースリー世代の男性はヌンチャクを振り回したことがあるはずです。チャックノリスファクト「ドラゴンへの道」から始まったかと思えば感慨深いものがあります。