大相撲秋場所は11日目、1敗の新入幕・逸ノ城が大関・稀勢の里に勝って10勝目を挙げ、14年ぶりに新入幕力士が大関に勝ちました。
引用元: 逸ノ城 稀勢の里に勝ち10勝目 NHKニュース.
新入幕の逸ノ城が大関稀勢の里に勝ってしまいました。立ち会いに待ったが2回続いたということもあり、稀勢の里にプレッシャーがかかりすぎたような感じです。明日は豪栄道で、その先3日で取り組みがどうなるかわかりませんが、こうなったら最後まで優勝争いに残ってくれた方が盛り上がる事でしょう。
大相撲秋場所は11日目、1敗の新入幕・逸ノ城が大関・稀勢の里に勝って10勝目を挙げ、14年ぶりに新入幕力士が大関に勝ちました。
引用元: 逸ノ城 稀勢の里に勝ち10勝目 NHKニュース.
新入幕の逸ノ城が大関稀勢の里に勝ってしまいました。立ち会いに待ったが2回続いたということもあり、稀勢の里にプレッシャーがかかりすぎたような感じです。明日は豪栄道で、その先3日で取り組みがどうなるかわかりませんが、こうなったら最後まで優勝争いに残ってくれた方が盛り上がる事でしょう。
米国現地時間9月11日(日本時間9月12日)に開催されたWWEの新人育成ブランド「NXT」の2時間スペシャル「テイクオーバー」におきまして日本人WWEスーパースター イタミ・ヒデオが正式にWWEデビューを果たしました!
KENTA選手がとうとうWWEでデビューしました。KENTAとして登場し、これからITAMI HIDEOとしてWWE NXTのリングに上がるということになったようです。これまで日本人プロレスラーがWWEのリングに上がる時には、リングネームを変える時とそのままの時があったのですが、何を基準にそうなるのかよくわかりません。権利関係の問題もあるのでしょうか。いろいろ大人の事情はありそうですが、JSPORTSが放送するのをやめていたWWE NXTを再開するらしいので、しばらくはチェックしないといけなさそうです。
ケーブルテレビ富山から封筒が届いていました。何かと思って開けてみたところ、サムライTVを契約している人むけに新日本プロレス西武ドーム大会の観戦チケットプレゼントの案内でした。今月中に電話で応募すると抽選で5名様にプレゼントという事です。ケーブルテレビ富山でサムライTVを契約している人が対象なので結構当選する確率が高そうなのですが、8/10(日)で試合開始が15時からということなので帰りの時間が遅くなりそうなのと、当然の事ながら交通費は自分持ちなのでちょっと悩ましいところです。
今回東京に来るタイミングで後楽園ホールで何処かプロレスをやってないかと調べたら、ちょうどDDTがやることになっていました。と言うわけで、あらかじめセブンイレブンでチケットを確保し、久しぶりの聖地後楽園ホールでの観戦をする事にしました。
ドトールを出て人混みの流れに乗って後楽園ホールに入り、行列が出来ていたエレベーターを断念し5階まで階段を上って行きました。パンフレットを購入して会場に入ろうとした時にダークマッチが始まりました。試合開始の12時に合わせて余裕を持って11時半前に後楽園ホールに入ったのですが、ダークマッチがあることを失念していました。地方会場のプロレスも味があって宜しいのですが、流石後楽園ホールは歓声も良く上がり盛り上がります。リングサイド席だったのですが、クッションの無い木製ベンチ席だったので結構肉体的に厳しい状況ではありました。結局14時40分頃に全試合終了し、再び流れに乗って水道橋駅に向かいました。
2009年に亡くなったプロレスリング・ノア初代社長・三沢光晴さんを記念した「三沢光晴メモリアルナイト 」が命日である6月13日に東京・後楽園ホールで開催された。会場には献花台やパネル展などが設置され、三沢さんの高校の1年後輩であった四天王の川田利明もゲストとして来場。また、七回忌にあたる来年の同日には、三沢さんが最後の試合を行った広島グリーンアリーナでメモルアルマッチが開催されることが発表された。
全部は見られなかったのですが、久しぶりにNOAH生中継を観ました。「三沢光晴メモリアルナイト」だったからG+で生中継していたのでしょうが、もう少し頻繁に生中継をしてもらいたいところです。メインの丸藤vs齋藤は、ややもっさりした感じはありましたが、最後がポールシフトの入りからエメラルドフロウジョンで決めたあたりが流石丸藤だし、その後の齋藤NOAH再入団はなかなかグッとくる流れでした。
山中が5連続KOでV6! “神の左”で9回KO
長谷川穂積は7回TKO負け
ボクシングのWBC&IBFダブル世界戦が23日、大阪・大阪城ホールで開催された。
引用元: ボクシングWBC&IBFダブル世界戦|試合速報|格闘技|スポーツナビ.
てっきり長谷川穂積が勝って三階級制覇するものだと思って見ていたのですが、打ち合って早いうちにダウンを喫し、最後にはボロボロになってしまいました。あんなに強かったチャンピオンも時が経つとこうなってしまうというのは寂しいものがあります。
ダブル世界戦のもう一人の山中慎介の方は圧倒的な強さを見せてKO勝ちしました。今日の戦い方を見れば防衛回数は増えて行くものと思いますが、どうだろうか。
“人間風車”こと往年の名プロレスラー、ビル・ロビンソンさんが米国・アーカンソー州で死去した。75歳。新日本プロレスが4日、発表した。
「人間風車」ことビル・ロビンソンさんが亡くなられました。地元で見られるテレビ局の都合で、国際プロレスや新日本プロレスではリアルタイムで見られなかったのですが、全日本プロレスに来てからの試合は見ていました。英国出身ということもあったのか、プライドが高くて扱いづらい選手だったように記憶していますが、ルー・テーズ、カール・ゴッチと共に日本のプロレス界にに大きな影響を与えた選手でした。合掌…。
全日本プロレスの高岡エクール大会に1人で行ってきました。これまではタイガーピットジムまで行って矢郷選手から直接チケットを受け取っていたのですが、今回はジムまで行く時間がなかったため取り置きして貰って会場のチケット売り場で受け取る形になりました。リングサイド席8列目とはいえ前から4列目になっていて、1・2列目が特別リングサイドで、少し間を置いて7・8列目がリングサイド、その後ろにまた間を置いて指定席となっていました。その東7列8列はほとんどの席が空いているのにもかかわらず、自分が1番端の席で、その隣2席に野郎が2人座っているだけで、その隣からは誰も居なくて前の席も全て空席。こんな時は素直に自分の席に座るのでは無く、ガラガラに空いている席にゆったり座った方が良いのかも知れませんが、小心者にはちょっとむずかしいかも。
分裂した後で初めて会場に来た訳ですが、シンプルな興行となっていてそれ程悪くは無い感じでした。それにしてもやはり元横綱の曙選手の存在は大きく、わざわざ金沢の片町のお店のきれいどころが花束贈呈しに来ていました。
三沢さん4周忌で田上との「四天王プロレス」が復活! KENTAvs.丸藤のGHC戦が実現へ
13日のプロレスリング・ノア東京・後楽園ホール大会は、「三沢光晴メモリアルナイト~自由、信念、そして未来へ~」として、4年前の同日にリング禍で亡くなった三沢さんを悼んで、満員のファンが駆け付けた。
会場には三沢さんの歴史をつづったパネルが展示され、献花台を設置。リングを見守るようにGHCヘビー級ベルトを巻いた三沢さんの遺影が飾られ、全試合終了後には追悼の10カウントゴングが打ち鳴らされた。
最近はG+もNOAH中継に力を入れ始めているのか、「三沢光晴メモリアルナイト」後楽園大会を生中継してくれています。夕食が済んでからG+を見始めましたが、ちょうど第5試合の健介&小川vs齋藤&雅央が始まったところでした。特別試合の三沢vs田上は実際にリング上でコールしてから過去の三沢vs田上の試合映像を流し、最後はタイガードライバー91で決まったところで終わりました。この試合の発表があった時にはいったいどうするのかと思っていましたが、終わってみればこれで良かった様な気がします。
NO MERCY vs BRAVE の3番勝負で、森嶋が髙山に勝つことには勝ちましたが、今の髙山にシングルで勝つことの難しさを感じさせられました。KENTA vs ヨネは「こんなヨネが見たかった」に尽きますが、それを引き出したKENTAは流石です。メインは今後の流れからも丸藤勝利→KENTAvs丸藤のGHCとならざるを得ない状況だったものの、丸藤が最後のたたみかけで完全復活を思わせるような勝利という結果で、納得の有明コロシアムでのKENTAvs丸藤のGHC戦となりました。
平日夜でも後楽園ホールを満員に出来たのは、「三沢光晴メモリアルナイト」ということを差し引いてもNOAHに勢いが出てきていることを感じられて嬉しいことです。
小橋のすべてがここにある!
“鉄人”小橋建太…あきらめないファイト、真摯なプロレス愛…人間離れした練習量から、驚異的な復活を遂げるたびに、日本中を勇気付けてきた小橋建太。怪我、ガン…想像を絶するそのプロレス人生を7日間に渡って振り返る2時間特番。永久保存版です。
引用元: 『ALL THAT 小橋建太VOL.1』 全て見せます!炎のプロレス人生 | プロレス | CS放送 日テレG+ 日テレがお届けするCSスポーツチャンネル.
面白いテレビ番組がなかったので、CATVでG+を見てみたら「ALL THAT 小橋建太」をやっていました。26年前の小橋&エース&パトリオットのGET結成から川田vs小橋の三冠戦、小橋vs秋山の三冠戦と続けて見たものの、その次の小橋vs三沢の三冠戦は流石に疲れてしまい録画しておいて後から見る事にしました。四天王当時の三冠戦を続けて見るのは2試合が限度です。